7という数字/令和5年9月の法話/お説教の詳細ページ/浄土宗西山深草派布教師会

浄土宗西山深草派 総本山誓願寺


 

 


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7という数字/令和5年9月の法話


7という数字/令和5年9月の法話の画像1
【担 当】 足立昇龍 師 〔愛知県岡崎市 称名寺 住職〕
【御 題】 「7という数字」

 


 

 


 

 

今年の夏も暑く、彼岸を過ぎても日中33度を超える日がまだあります。仏教では、彼岸の折に先祖供養や実りに感謝する法要を営みます。
先日、お父様を新しい佛さまとして迎えました50代の檀信徒の方から質問されました。「どうして、七日参りをするのですか?どうして「7」日ごとなのですか?」

私どもの宗派では、亡くなってから次の世界へ生まれる間を、「中陰(ちゅういん)。又は中有(ちゅうう)」と言います。この中陰の存在は、霊魂(れいこん)・魂(たましい)と呼ばれている形ですね。まず、私どもの往生は、生まれながらに必ず約束されています。『観無量寿経』には、極楽の宝の池に、蓮の蕾の中で私たちは待たされ、7×7日にその花が咲き、他の菩薩さま方に優しく迎えられ、この世の怨みつらみが無くなり、修行が始まるとあります。

さて、「7」という数字ですが、仏教では2つの大きな御縁があります。1つ目は、「六道を超える」という意味です。お釈迦さまが阿弥陀さまの国への往生以前は、6道。

・人間よりすぐれた者の世界=天道
・私どもの世界=人道
・人間の姿形はしているが人の心を持たない世界=修羅道
・動物などの世界=畜生道
・飢えに苦しむ者の世界=餓鬼道
・あらゆる苦しみに苛まれる世界=地獄道、

この六道を生まれ変わる「六道輪廻」とありました。この苦しみある迷いの世界を超えて阿弥陀さまの国へ往くので、「7」であります。

2つ目は、「六方の中心に自分がある」という数字です。『阿弥陀経』には、あらゆる佛(如来)さま方が、1番素晴らしい佛は阿弥陀さまと讃えています。あらゆるとは、阿弥陀さまを中心としたら東西南北と上下、合わせて6つの方角、そのそれぞれの佛さま方が阿弥陀さまを讃えています。これは、私たちにもおなじ事が言えます。私たちそれぞれ個人は、他人さまの関わりがあり、自分1人では生きていけません。6方の助けがあるからこそ、自分は生かされていると、感謝すべきであります。

常に、ご先祖さま方である佛さまに護られていると気づき、念佛ある日暮しを致しましょう。

 

 

このたび、当布教師会より法然上人800回大遠忌記念事業として法話集「法然さまからのお手紙とお歌」を出版いたしました。


法然さまが「黒田の聖人(ひじり)」に宛てた一紙小消息を、管長猊下お手ずから、わかりやすく現代の言葉に置き換えていただき、それを一区切りづつ布教師会の布教師がお説教として書き下ろしました。 また法然さまの代表的なお歌を八首取り上げ、それをテーマとしたお説教も掲載しております。

この本のお求めは、≪総本山誓願寺公式サイト「出版書籍のご案内」ページ≫ よりご購入いただけます。(一部1,000円税込/送料別)


 


 

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