平成28年5月の法話(1)/小島雅道師
【担 当】 小島雅道 師 〔愛知県岡崎市 圓福寺 住職〕
【御 題】 「無題」
暖かな春真っ盛りの五月になりました。
暦の上では、夏を迎え、田植えのシーズンとなります。
普段、何気なく、私達が口にするお米は、まさに農家の方々の大変なご苦労によって、頂くことが出来ます。そのため、昔から、お茶碗にお米粒を残したりすると、目がつぶれると叱られたものです。世界に目を向ければ、食事もろくに取れない人々が多いのに、日本のテレビでは、毎日、グルメ情報ばかりで、山のように食べられないほど提供するお店がもてはやされたりします。
法然上人は、「地体(じたい)は、生きとし生けるものは、過去の父母(ちちはは)にて候(そうろう)なれば、食うべき事にては候(そうら)わず。」とおっしゃています。その意味は、「日々、私たちが食している、生きとし生けるものは、自身の前世における、父や母の生まれ変わりかも知れませんから、本来は、食べるべきではありません。」ということです。
生きていくためには当然、食べ物がなくてはならないのに、本来は食べるべきではないとおっしゃっています。ここに、法然上人の両親に対する強い感謝の思いがあります。わが子のためなら、この命まで捧げようとする親の恩を今、目の前の食事に感じ取ります。この命、身体は、両親より受け継いだもの、決して粗末にしてはならない尊い存在だということです。それこそが、一切の衆生はことごとく仏だととらえる仏教の真の教えです。
法然上人は、戒律を厳格に守られる方でした。戒律の第一番は、不殺生戒、すなわち、生きとし生けるものを殺さず、むやみに殺生をするなかれです。これは、命を軽んじてはならないという教えです。自身の命が大切であると同時に、他の命も大切にするということです。
この命、身体を支えて下さる、食事は、大切なものです。すべての生きとし生けるものに、ご先祖や家族、仏様に、感謝のお念仏を致しましょう。
担当は小島雅道でした。
このたび、当布教師会より法然上人800回大遠忌記念事業として法話集「法然さまからのお手紙とお歌」を出版いたしました。
法然さまが「黒田の聖人(ひじり)」に宛てた一紙小消息を、管長猊下お手ずから、わかりやすく現代の言葉に置き換えていただき、それを一区切りづつ布教師会の布教師がお説教として書き下ろしました。 また法然さまの代表的なお歌を八首取り上げ、それをテーマとしたお説教も掲載しております。
この本のお求めは、≪総本山誓願寺公式サイト「出版書籍のご案内」ページ≫ よりご購入いただけます。(一部1,000円税込/送料別)
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