南無阿弥陀仏ついて/令和2年1月の法話
【担 当】 畔柳優世 師 〔愛知県西尾市 養寿寺 住職〕
【御 題】 「南無阿弥陀仏ついて」
令和六年、浄土宗は開宗850年を迎えます。お念仏の元祖、法然上人が浄土宗をお開きになられたのは承安5年(1175)、阿弥陀仏を信じ、南無阿弥陀仏とお念仏をお称えすれば、必ず阿弥陀仏から救われるとお気付きになられました。それから、南無阿弥陀仏、お念仏の教えが各地に広がり、また現代まで脈々と伝わっております。
法然上人が私たちにお伝え下さったお念仏とは、いかなるものでしょうか。弟子である西山上人がこう仰っておられます。「南無とは我等が仏を頼む心なり。阿弥陀仏とは頼む心と彼の仏の摂し給ふ他力不思議の行体なり。されば我が心を南無といひ、彼の仏の我を摂し給ふをば阿弥陀仏といふ」私たち衆生が、阿弥陀仏を頼りにする心が「南無」、私たち衆生をお救い下さるのが「阿弥陀仏」、その二つが一つになった姿が「南無阿弥陀仏」のお念仏です。
阿弥陀仏と私たち衆生の関係は、親子の関係に例えられます。親は常日頃から、子どもを大切に思っておりますが、子どもはそんな心を知りません。しかし、子どもが困った時は親に相談したり、助けを求めたり、親のことを頼りにします。他人には頼ることができなくとも、親には頼れます。なぜなら常にその子には、その子を思う親がいるからです。
長女が生まれた10年前のことです。初めての子育てに右往左往し、疲れ切った私がいました。ちょうどお寺でお檀家さまの法事が勤まる日でした。子どもの世話をせないかん、お寺のこともやらないかん、法事の準備もせないかん、と疲れ切った体に鞭を打ちながら、やっておりました。
「ああ、しんどい。もうあかん。今日は無理や」そう思ってしまい、本堂でへたり込んでしまった時です。一台の車が境内に入ってきました。なんと奈良の実家から両親が突然やって来たのです。「お前が大変かと思い、手伝いに来た」息子が大変なことになっていると思った両親は、何も言わず奈良からやって来て、私を助けてくれまして、その日の法事を勤めることができました。あの時の光景は今でもはっきり覚えています。本当にありがたかったです。
阿弥陀仏のお救いとは、常日頃から私を思って下さることだと思います。その親の気持ちに応え、「南無阿弥陀仏」とお念仏し、阿弥陀仏を思うことが、法然上人が私たちにお伝え下さったことだと思います
このたび、当布教師会より法然上人800回大遠忌記念事業として法話集「法然さまからのお手紙とお歌」を出版いたしました。
法然さまが「黒田の聖人(ひじり)」に宛てた一紙小消息を、管長猊下お手ずから、わかりやすく現代の言葉に置き換えていただき、それを一区切りづつ布教師会の布教師がお説教として書き下ろしました。 また法然さまの代表的なお歌を八首取り上げ、それをテーマとしたお説教も掲載しております。
この本のお求めは、≪総本山誓願寺公式サイト「出版書籍のご案内」ページ≫ よりご購入いただけます。(一部1,000円税込/送料別)
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