仏のお救いに逢う/平成29年7月の法話(2)
【担 当】 畔柳優世 師 〔愛知県西尾市 養寿寺 住職〕
【御 題】 「仏のお救いに逢う」
日々の生活の中でお念仏を称えれば、必ず仏さまのお救いに逢うことができます。そのお救いとは、いかなるものでしょうか。宝くじが当たる?大金持ちになる?そんなことではありません。我々凡夫の性分では、そのようなことを考えてしまいますが、それはただの欲です。仏さまのお救いとは、日々の生活の中で、「あー良かった。あー助かった」とふと思えることです。
先日、車で一時間半ほどかかる檀家さまがお亡くなりになられました。朝六時に電話が鳴り、お通夜、ご葬儀の時間を決めました。喪主さまが、「会場の詳細はFAXします」とおっしゃられ、そのまま電話を切りました。しかし、なかなかFAXは来ません。「いつか来るだろう」と思い、待っておりました。日曜日ということもあり、自分も忙しくFAXのことなど忘れておりました。九時半に一本の電話がなりました。「お世話になります。市役所の文化財課の者です。実は六時二十五分にFAXが来ていたのですが、おそらく養壽寺さま宛だと思います。転送しますね」と。転送されたFAXを見ると喪主さまから、私宛のFAXでした。間違って文化財課に送ってしまったようです。
後日、文化財課にお礼に伺いました。すると、「たまたま私がFAXを送ろうとしましたら、あれが届いてました。事務員さんは養壽寺さまのことを知らないし、私が偶然見つけて良かったです。あのままでは火曜日までほっとかれて、廃棄されたかもしません。奇跡ですね」と言われました。「あーそうですか。仏さまのお救いがありました。たまたま貴方がFAXを送ろうとし、うち宛のFAXを見つけて頂いたのは、仏さまのお導きだと思います。本当にありがとうございました」
「念仏にいさみある人は、無辺の悟を開くべき人なり」
法然上人のお言葉です。日々の生活でお念仏を称える人は必ず仏さまのお救いに逢うことができ、それに気付くことができるということです。この奇跡的な出来事は、偶然の産物ではありません。全て仏さまのお導き、お手引き、お救いだったのでしょう。
南無阿弥陀仏
このたび、当布教師会より法然上人800回大遠忌記念事業として法話集「法然さまからのお手紙とお歌」を出版いたしました。
法然さまが「黒田の聖人(ひじり)」に宛てた一紙小消息を、管長猊下お手ずから、わかりやすく現代の言葉に置き換えていただき、それを一区切りづつ布教師会の布教師がお説教として書き下ろしました。 また法然さまの代表的なお歌を八首取り上げ、それをテーマとしたお説教も掲載しております。
この本のお求めは、≪総本山誓願寺公式サイト「出版書籍のご案内」ページ≫ よりご購入いただけます。(一部1,000円税込/送料別)
前へ
次へ
前の画面に戻る
facebook area