気づく心/平成29年6月の法話(1)
【担 当】 新美直照 師 〔愛知県蒲郡市 玉泉院 副住職〕
【御 題】 「気づく心」
ある新聞で、約二千人を対象にしたこんな世論調査がありました。「あなたは何か宗教を信じていますか」という質問です。それに対する答えは、「信じている」20・5%、「信じていない」78・3%。「幸せな生活を送るうえで、宗教は大切であると思うか」という質問には、「大切である」27%、「そうは思わない」68・9%の回答でした。約8割の人が宗教を信じていないという回答でした。僧侶としては悲しむべき数字ではありますが、特におどろく数字でもありません。おそらく多くの人は、宗教とは、何か得体の知れないもの。信仰とは、難しいもの。自分には、あまり関係のないものと、考えている人が多いのではないでしょうか。
流祖西山上人さまの御歌に、「生きて身をはちすの上にやどさずば念仏もうす甲斐やなからん」とあります。これは、「私たちの生きている、この身この生活は、阿弥陀さまのお慈悲の中に包み込まれて生かされているという事に気づかずにお念仏を申してはもったいない」という事であります。私たちの毎日の生活の中には、この「気づかない」という事が大変多いと感じます。まず人は「生きている」のではなく「生かされている」と気づかせていただいたとき、私たちの生活は大きく変わります。例えば、食事をいただく時、動物や野菜の尊い命をいただいている事に気づかされたとき、心から「いただきます」と感謝の言葉がでてきます。
先日、メガネ屋さんに行った時の事です。そこにはメガネだけではなく、補聴器も売っていました。高いものは、10万円以上、安いものは、500円でした。私はつい聞いてしまいました。「500円の補聴器で大丈夫ですか?」定員さんの答えは、「それなりの効果がありますよ」でした。深く聞くのはやめておこうと思った私に定員さんは、「その補聴器は、飾りですよ」と教えてくれました。その500円の補聴器は、動かないのです。つまり、電池やバッテリーは無く、ただ耳に付けておくだけの飾りなのです。しかし、それなりの効果があるのです。その補聴器を身に付けていれば、それを見た人は、その補聴器に気づき、普段より大きな声で話しかけてくれるのです。充分に補聴器の役目を果たしているのです。気づくことで生まれた効果なのです。
信仰は何もむずかしいものではありません。お願いすれば助けてくれる人、守ってくれる人、話を聞いてくれる人、時には叱ってくれる人、そんな人がいるということに気づくことでも信仰なのです。
仏さま、ご先祖さまの存在に気づき、お念仏を称える習慣がつきますと、自然と安楽の境地が開けます。そうすると、満足感と感謝の心が起きるようになり、信じる心が身に付いてくるのではないでしょうか。信じる心とは気づく心なのです。
このたび、当布教師会より法然上人800回大遠忌記念事業として法話集「法然さまからのお手紙とお歌」を出版いたしました。
法然さまが「黒田の聖人(ひじり)」に宛てた一紙小消息を、管長猊下お手ずから、わかりやすく現代の言葉に置き換えていただき、それを一区切りづつ布教師会の布教師がお説教として書き下ろしました。 また法然さまの代表的なお歌を八首取り上げ、それをテーマとしたお説教も掲載しております。
この本のお求めは、≪総本山誓願寺公式サイト「出版書籍のご案内」ページ≫ よりご購入いただけます。(一部1,000円税込/送料別)
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