心の断捨離/令和4年6月の法話/お説教の詳細ページ/浄土宗西山深草派布教師会

浄土宗西山深草派 総本山誓願寺


 

 


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心の断捨離/令和4年6月の法話


心の断捨離/令和4年6月の法話の画像1
【担 当】 鵜飼泉道 師 〔京都市中京区 極楽寺 住職〕
【御 題】 「心の断捨離」

 


 

 


 

 

京都裏寺町極楽寺住職 鵜飼泉道です。

今日は心の断捨離とお念仏について話させていただきます。日常生活を送る中で「断捨離 ダンシャリ」の大切さと難しさがよく語られます。

タレントや著名人が「断捨離を行った。」「ダンシャリしようとしたが出来ない。」と話題を提供し、今や断捨離はブームの状態です。

元々「断捨離」とはヨーガの行法を示す言葉です。断行(だんぎょう)=入ってくる不要なものを絶つ 捨行(しゃぎょう)=身の回りにある不要なものを捨てる 離行(りぎょう)=物への執着から離れる という意味です。すなわち「断捨離」とは物への執着から離れ、身軽な生活を行うことにより心を開放していくという考え方です。

物を捨てる断捨離はブームですが、私たちの心の断捨離はどうでしょうか。形のない思い出 記憶 心の傷 これらは捨てるのは難しいですね。形が見えないだけに処分するのはより難しいです。特に 心の傷は、つらい想い出は、後悔の心は、捨てようがありません。

でも「これ一つにすがっていく。これ一つだけで生きていく。」このような一途な行いと心があれば、迷いや傷ついた心の断捨離に近づけるのではないでしょうか。

法然上人は流罪中に歓待を受け『極楽も かくやあるらん あら楽し 疾(と)く参らばや 南無阿弥陀仏』の御歌を残されています。

“ご馳走とゆっくりとした湯で疲れを流すことは極楽のありさま”だとおっしゃっておられます。そしてこの極楽を得るのは「南無阿弥陀仏」の称名の一声であることを示された御歌です。

唯一無二のお念仏を勧めるがゆえに弟子は死罪となり、わが身も流罪という人生の中で最もつらい時にこそ、お念仏の大切さを暖かい人のもてなしの中に感じ説かれた教えです。

私たちを覆う心の重しを省いてくれるお念仏の一声は、心の断捨離への道です。

令和6年は法然上人がお念仏の教えを示していただいて850年の記念すべき年です。改めて私たちの心を軽くする、お念仏の大切さを心得てください。


 

 

このたび、当布教師会より法然上人800回大遠忌記念事業として法話集「法然さまからのお手紙とお歌」を出版いたしました。


法然さまが「黒田の聖人(ひじり)」に宛てた一紙小消息を、管長猊下お手ずから、わかりやすく現代の言葉に置き換えていただき、それを一区切りづつ布教師会の布教師がお説教として書き下ろしました。 また法然さまの代表的なお歌を八首取り上げ、それをテーマとしたお説教も掲載しております。

この本のお求めは、≪総本山誓願寺公式サイト「出版書籍のご案内」ページ≫ よりご購入いただけます。(一部1,000円税込/送料別)


 


 

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