娘からの光/令和2年11月の法話
【担 当】 岩瀬太陽 師 〔愛知県西尾市吉良町 堯雲寺 住職〕
【御 題】 「娘からの光」
先日、娘が頸部リンパ節炎という病気で入院しました。症状としては、ウイルスや菌が原因で、首のリンパ節が炎症をおこして高熱がでるというものです。
こんなご時世ですからウイルスと聞くと正直ドキッとしますが、どうもコロナウイルスとは関係のないもののようなので少し安心はしました。
とはいえ、娘はまだ3歳なので入院となると色々と大変でした。
抗生物質の点滴をするために、腕に針を刺して管をつけます。小さく細い腕から伸びる管を見るのは、痛々しくて辛かったです。
家には保育園児の長男、そしてまだ生後9ヶ月にならない弟がいますので、妻と二人で病院と家とを行ったり来たりの生活になりました。
その日は夕方から私が病院で付き添うことになりました。晩ご飯の時間になったのですが、なかなか自分でご飯を食べようとしないので私が食べさせることにしました。
スプーンでご飯を食べさせた時に、高校生の頃に自分が事故で入院をしていた時の事を思い出しました。
体が動かせなくて、自分で食事を取れなかった私に毎日毎日、朝昼晩、病院に通って、ご飯を食べさせてくれた両親の事をです。仕事が忙しかったりした日もあっただろうに、毎日病院に来て世話をしてくれました。
その時も当然ありがたかったですし感謝はしていましたが、今自分が親の立場になって改めてその時の親の気持ちを少し理解することが出来たように思います。
娘はと言いますと、三週間ほどの入院生活でしたが、幸いにも今では元気に生活をしています。
退院してから数日後の10月1日、中秋の名月でしたので家族全員でお月見をしました。月の光はとても明るく綺麗でした。
法然上人のお歌に「月影の いたらぬ里は なけれども ながむる人の こころにぞすむ」と、あります。
月の光が届かない里は無いのですが、月を眺める人の心にこそ月は、はっきりと存在してくるのです。
月の光は阿弥陀さまのお救いのことで、それが届かない里はない。つまり阿弥陀さまのお救いは全ての人を対象にしています。ただ、目で見て認識しなければ月は無い物と同然です。家の中にいたり、下ばかり向いていては月の存在に気が付きません。
阿弥陀さまの、全ての人を漏らさずに救って下さるという本願は、月の光のようにどこに居ても誰にでも平等にふりそそいでいます。しかし眺めた人にしか月の光の存在が分からないように、南無阿弥陀仏とお念仏を称えること、また心に思うことで、阿弥陀さまの本願によって極楽浄土に生まれることができるのです。
普段の生活の中で、親のありがたさというものに気付かず、それを当たり前のように過ごしてきました。
今回、娘が入院した時には、本人は心細く怖かったと思います。私たち家族もとても心配しましたし、本当は病気とは無縁に育って欲しいのですが、入院という、いわば娘からもらった光によって、親のありがたさと、我が子を思う親の気持ちを同時に気付かせてもらうことになりました。
今年に入り、新型コロナウイルスの話題をはじめ、暗いニュースが多く、今まで当たり前だったことがそうではなくなり、ともするとうつむきがちになってしまいそうですが、ふとしたときにでも月を眺めて、阿弥陀さまに見守って頂いていることを忘れずに、日々の生活を送っていきたいものです。
このたび、当布教師会より法然上人800回大遠忌記念事業として法話集「法然さまからのお手紙とお歌」を出版いたしました。
法然さまが「黒田の聖人(ひじり)」に宛てた一紙小消息を、管長猊下お手ずから、わかりやすく現代の言葉に置き換えていただき、それを一区切りづつ布教師会の布教師がお説教として書き下ろしました。 また法然さまの代表的なお歌を八首取り上げ、それをテーマとしたお説教も掲載しております。
この本のお求めは、≪総本山誓願寺公式サイト「出版書籍のご案内」ページ≫ よりご購入いただけます。(一部1,000円税込/送料別)
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