平成18年2月の法話/新美和彦師
【担 当】 新美和彦 師 〔愛知県蒲郡市 玉泉院 住職〕
【御 題】 「氷多ければ、水多し…」
「あの子は、お浄土に往くことが出来るのでしょうか?」
とは、自殺により18才の我が娘を亡くしたご両親のおたずねでした。
「大丈夫!あなた達のお念仏の後押しにより、必ずお浄土にいかれますよ。」
お浄土の有様の画かれた掛け軸(当麻曼荼羅)をお見せしながら、「お金が有ろうが無かろうが、善人も悪人も、生前の行いに関係ありません。 みんな裸になって浄土のお池に生まれさせていただくのです。それには、素直な心で、お念仏することです。理屈ではありません。 『南無阿弥陀仏』と手の合わさる時。 お子様のお浄土に居られるお姿が心に湧いてきます。」と、お話いたしました。
「分かりました。でも、15才の妹が、沈み込んでしまって、学校も行けないし、お友達とも遊べなくなってしまいました。 そんな、妹には、どう接してやったらよろしいでしょうか? 私たちも世間の目が気になります。 何故、こんなに私たちを苦しめるのでしょうか?」
これには、私も困りました。 でも、これだけは云いました。
「あなた達、親のお気持ちが大切です。嘘でも毅然としてやって下さい。 親の不安が子どもに移ります。 親のやすらぎは子どものやすらぎです。」と、
法然上人さまは、「葦の生い繁るお池に、満月の月光があたっていても、そこに月の宿る姿は見えません。 しかし、よくよく葦と葦とのわずかな水面を見れば、葦間をわけて宿る月を発見することがあります。」と云われています。 怒り・憎しみ・悲しみの葦は繁れども、そこにお慈悲の仏心をいただくことができるのです。
仏さまに(位牌に)、素直に手の合わさる時、しだいに亡き人と共に救われて往きます。
苦悩は、自己中心的な心から生まれます。
彼岸(心安らかな境地)を求め、お念仏の道(仏道)に入れた瞬間から、少しずつ仏性をいただき浄められていくのです。
「氷多ければ、水多し」と言います。
「氷」とは、煩悩。「水」とは、仏性です。
苦悩や邪心という煩悩がなかったり、少なければ「心安らかになりたい」という菩提心(発心)も起こりません。 苦悩が多いほど、仏の心に触れたときの喜びは大きいものです。
私たちに苦悩があることは、一つも心配することはありません。
合掌 十念
このたび、当布教師会より法然上人800回大遠忌記念事業として法話集「法然さまからのお手紙とお歌」を出版いたしました。
法然さまが「黒田の聖人(ひじり)」に宛てた一紙小消息を、管長猊下お手ずから、わかりやすく現代の言葉に置き換えていただき、それを一区切りづつ布教師会の布教師がお説教として書き下ろしました。 また法然さまの代表的なお歌を八首取り上げ、それをテーマとしたお説教も掲載しております。
この本のお求めは、≪総本山誓願寺公式サイト「出版書籍のご案内」ページ≫ よりご購入いただけます。(一部1,000円税込/送料別)
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